雪崩れ! |
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2000年の4月の事。白馬岳西面の谷を目指し、風雪の中を白馬乗鞍岳の大斜面を登行していた時、スキーで踏む雪の踏み応えの変化が気になっていた。最後の詰めの急登をジグ切りながらキックターンで方向変換した時、一息つきながらスキーで雪面を叩いてみた。異変は感じていたが、構わずに登りだしたとき、形容しがたい音とともに足元に亀裂が走った。
スーッと静かに登行の姿勢のまま下流へと加速しながら流され始めた、倒されない無い様にと努めたが、すぐに板を下にして座る姿勢になってしまった。巻き込まれ無い様、板をどうにか処理しようとするが体も板も埋まりつつあり何もできない。山側の手で支えて体を起こしてるのが精一杯だ。
傾斜が落ちてくると雪崩れの速度も落ちて流れも止まる。見渡すと一面のデブリの中に下半身が埋まった自分がいた。どれくらいの時間が掛かったかは定かでは無いが、さして苦労も無く板を外して雪面に立つ事ができた。装備と自分の体を点検すると、片方のストックを紛失していた、膝も少し捻ったのか痛みがある。
ストックを探すが、埋まってしまった様だ。空身で登り返してみると破断面がクラウン状に切れていたのが確認できた、積雪は30a程で下の汚れた古い雪の層に積もった新雪が滑ったのだろう。ホワイトアウトの世界が走路の汚れた雪とデブリでそこだけリアルに見えるのが印象的だった。
規模は40×100位だが、積雪がもう少し多かったら結果は悲惨なものだったかもしれません。ストック紛失と悪天で3日の計画を半日で終え下山しました。以降は板で踏んでの弱層判断と、天候の見極めの力が僅かにアップした様に感じます。
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雪崩れ! |
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2005年の2月、磐梯山系の櫛ヶ峰での事。山スキーの記録には書いてますが、山頂付近はかなりの積雪で、沢筋の樹林の中、腰近くの重いラッセルに嫌な感じはあった。下降時も重くて深い雪に林の中を避け、期待の源頭部へと滑り込んでみた。この雪質では板の操作もままなら無い、一気に滑り落ちたいが立ち木にぶつかる危険もある、弱層は黄色信号的な雰囲気。
電光形に横に逃げながら高度下げるが、雪崩れが来たときの逃げ道は漠然と考えてはいた。沢筋も明瞭になりノド状に狭くなってきた時、右ターンを始動しようとした時、例の忘れられない音と共に(悪魔の囁き)足元の雪面に亀裂が走った。目まいを感じつつ、スーッと下流に流されながら左岸のブッシュの中に迷わずに斜滑降で突っ込んだ。木の枝に掴まり安全を確認。
積雪の割には今回も雪崩れの層が薄くてダメージは有りませんでした。傾斜は30度強で4×20程度の規模。現場の雰囲気としてはたまると小規模の雪崩を発生させていて、あまり大きい雪崩は無い地形と感じます。今回も心臓はバクバクで、正直この次はもう勘弁です。
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滑落! |
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大分前のことです、山スキーを始めたころか? 6月の山スキー日和の良き日、稜線から毛勝谷の滑降を目指し、30度強の斜面を軽い気分でスイスイと下り始めた。少し甘く見たか、気分も浮ついていたのだろう。滑り始めて間もなく、ジャンプターンの足がもつれて転倒。固目の雪質もありグングンと加速を開始。何とか体勢を整え板を下にして制動を試みたが、勢いに押されて1回転してしまい、引っくり返り頭を下にまた加速、少し膝を捻った様だ。
ヤバイなと思い始めながら、平常心を心がけジタバタと再度体勢を立て直す。今度は少しずつスキーのエッジを利かせようと思ったが、今度も急制動がかかり飛ばされそう。断続する衝撃を何とかこらえ、膝に悪い捻りを感じながら必死に減速。ようやく停止して上を見たら100b以上は滑ったみたいだが、実感としては200b以上と言った所か。
それでもスケールのある谷なので、まだまだ滑りは楽しめたが、捻った膝の鈍い痛みが消えるまでは半年近くを要しました。また、急な斜面では今までコケた事が無かっただけに、シーズン最後に心理的なダメージ(凹)を残しました。以降は山スキーでは集中力を切らさず、安全第一を心がけています。
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雪庇! |
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山スキーを初めて間もない頃の4月。風雪の中、飯豊本山小屋を目指したが途中で切合小屋に逃げ込んだ。悪天に一日停滞して様子を見るが、回復の傾向は無し。朝遅くに下山を決め行動を開始。小屋を出て間もなく、視界不良で種蒔山からのルートが判らない。大雪で、ルートを外して沢に下ればば登り返しは不可能に思える。
小一時間山頂付近を何度も探索、何とかルートを外さずに下り始める。三国岳近く、何となく雪庇の上にいる雰囲気がするが辺りは真っ白で? やけくそで前進したとたん身体が浮いた、スーッと落ちてザックを下にして止まった。10b近く落ちたか。雪が深くて何とも無かったが、這い上がるのが大変でした。
これも経験で、今となれば笑えますが当時は必死でした。地蔵からの下りも深雪に板が走らず時間は遅れ、コントロールが大変で立ち木に膝を強打して一時は動けなくなったりと散々。暗くなる頃ようやく下山。
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雪庇! |
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山スキーだと良く隠れた亀裂を踏み抜き、脱出に苦労してルートを変更したりします。下から見上げると安定して見えるが、近づくと結構不安定だったりする時もあり、この時ばかりは神に祈りながら先を急ぎます。ポロポロと基部が崩れかけたりしてるし
スキー場の外?なんかでドロップポイントを探っていると、稀に雪庇の崩落をおこす事が有ります。概念を掴んで行くので落ちても大事は無いですが、気持ちの良い物ではありません。
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落とし穴! |
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2001年の3月だっただろうか? 吾妻連峰の西大巓から馬場谷地へと下り、さらに傾斜の緩い沢筋を快適にクルージングしていた。スピードに乗ってくると形の良い小さ目のジャンプ台を発見、何気に軽く飛んで、着地点を見るとマンホールの様な暗い穴が口を開けていた。
ホールインワン! 穴の土手(際)に身体がベタッと張り付いてからズリーッと落ちる。沢の暗い流れが視界に入る、板ははずれたが落としてなるものかと抱きかかえて確保。穴の途中の真ん中に細い木の枝が出ていて、そこに跨いで腰掛ける体勢で引っかかり着地成功。
スットックの片方は落としてしまい流してしまった、回収は不能でしょう。体がすっぽりはいる穴の中で何とか木の枝に立ち込んでみるが、手がようやく縁にかかる位の深さ。取りあえず板二本を穴の外に放り投げ身軽になり脱出開始。ズリズリと滑る穴の中で効きの甘いバイルにスリングをセット、騙し騙し立ち込み、突っ張りながら何とか這い上がった。マジでヤベェ
ふと気が付くとメガネのレンズが割れていて使い物にはならなかったが、意外と股間のダメージは軽く、急所は外したみたい。さてと、シールを貼って戻りましょう。
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凍傷! |
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山スキーを始める前はスノーシューで雪山を歩いていて、たまにボード等を担いで滑ったりもしてました。雪山も初心者の頃、裏磐梯方面から中吾妻を経由して米沢市の峠駅に抜ける、2日+1日の予備日付きの日程で雪山歩きを計画した事があった。2月上旬
強力な低気圧の接近で大雪警報が出ていた。ビバークした中吾妻までは晴れ間も見え、何となく行けるような気がしていた。中吾妻を通過すると風雪となり、ルーファイと深いラッセルに行程ははかどらない。順調ならその日の内に駅まで行けると踏んでいたが、明月荘まで行くのもぎりぎりの進行状況。東大巓への緩い登りもラッセルと猛吹雪に前進が辛い。部分的に胸をこす深さ。
体力も限界となり、山頂を巻いて明月荘を目指した。コンパスを振れば辿りつけると頑なに思っていたが、真っ直ぐ歩く事は不可能な状況。それでも小屋を探し続ける内に日没となってしまっった。今から思うと考えられない行動だが、当時は状況判断ができなかったのです。凍える手で地図を出そうとしたら風に飛ばされてしまった、コピーをケチったので、この山域の予備は無い。致命的
足元も確認できない状況で雪面を均し、灌木の影にテントを張る。何とかもぐり込んだが風に叩かれテントごと飛ばせれてしまいそうだ。ケツの下を風が吹き抜けて行く感覚。テントの中では着の身着のままでシェラフに入るのがやっとで、雪水も作る事はできない。一晩中風に叩かれたが。アライ製のテントはタフで持ちこたえてくれた、感謝。
天気予報は午後から回復と言ってるが、この場所に留まるつもりは無い。相変わらずの強烈な風雪模様、温度計は昨夜から23度付近を指している。準備万端整えて外に飛び出し、必死でテントをザックに突っ込み撤収完了。上手くいった。しかし、厚い手袋をしてスノーシューの装着は困難。バンドを締めるのにほんの一時素手になった。すぐに手の感覚が消えたが、とにかく寒いので北を目指し、コンパス片手に歩き出した。視界はゼロ。
ツアーコースと思われる沢筋に入ると風も弱まるが、今度は腰上のラッセルに悩む。手の感覚が無いので手袋を取ってみると、全ての指がカチカチに凍っていた。白くなって血の気は無く、頬に手を当てると冷たい、氷だ。凍ったバナナみたい。脇に挟んだりしてみるが解凍の気配は無し、小便をかけるのは効果的だが続かない。ラッセルしているうち体温も上がり溶ける事にして歩き出すが、夜遅く自宅に戻るまで冷たいままだった。
地図無しで沢を下り、迷走しながら下山した件は長くなるのでまた次回にでも。自宅で風呂に入ると猛烈な痛みが走った。その後は指が真っ黒になり、表面が石の様に固くなった。病院で皮を切り落としたら指先がスッキリした感覚。その後も完全な回復は無理で、指先の感覚は完全には回復していない。血行が悪いのか冷えには弱くなり、冬は手袋をしていても時々指先が白くなる事が有るが、これも軽度の凍傷でしょう。
良く見ると足の指先も白くなっていた、これはプラブーツがきつかったせいも有る。風雪の中のビバークの日、平地はこの冬一番の寒さだったそうです。
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予感? |
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東大巓で凍傷を負った山行の件ですが、一日目に中吾妻で幕営した夜の事です。天候は下り坂で、できるだけ前進したい気持ちもあり日没近くまで行動してからテントを張った。しんしんと降る雪、オオシラビソの樹林の中では風も無く快適な幕営適地に思えた。
酒を飲み、食事を済ませてシェラフに潜り込み、明日の天気を携帯とラジオで確認。判断に迷いながらも、取りあえず明日は中吾妻の山頂まで行ってから判断する事にして灯りを消した。降る雪がサラサラとテントにあたり風が微かに揺らす、中吾妻の夜。
眠気に目を閉じる。ふと、外に何者かの気配を感じる。音は無く、動物では無い様だが。意識を集中してみると、背中に頭に、強烈なな悪寒が体中に走った。脳裏には姿が浮ぶ、黒マントに黒い帽子で立っている男、こちらを見る横顔は青白く表情は判然としないが、薄笑いを浮かべている。テントを出て確認する度胸はない、恐いと思った。とにかく、闇の中でその事は絶対意識しないようにするのが精一杯。どれ位の時間が経ったか、暫らくすると夕立の後のように意識の中から、あの青白い顔の男は薄らいで行った。
死んだ親父の事などを思い出していると、何時の間にか眠りについていた。その翌日の事は上に続いてます。もう何年も前の夜の事でもいまだに鮮明に覚えていますし、あの濡れた様な青白い顔を思い出すと今でも寒気がします。山行前、ふとそんな事を思い出すときは不思議とアクシデントに出合いますが、最近その感じが無くなってるのが少し気にもなっているこの頃です。恐怖の大王、スナフキン
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落石! |
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2002年の5月、剱岳北方の池ノ平をベースにして、小窓から西仙人谷を下り、大窓を経由してベースに戻る池平山周回を計画した時の事。
朝早く、軽装でベースを出て小窓を目指した。小窓に着き、西仙人谷を覗くと雪渓はかなり後退していて雪面も荒れている。滑りを楽しめる雰囲気では無く躊躇するが、強風に後押しされるように草付きを下り、雪渓に立ち滑降準備。雪渓いっぱいに広がる転石を避けながら慎重に滑り下る、板はガリガリと嫌な音を立てるが石を噛んでるのか固い氷の音か判断はつかない。
時間をかけて下り、谷が大きく屈曲すると、デブリと落石で荒れた西仙人谷も終わりかと一安心、と思ったのも一時で、出合いから上流の大窓谷を見上げると、転石と大きな岩が雪渓上に転がっていてかなり荒れた雰囲気。ルートを間違えたかと何度も地図を確認してみるが、間違いはないみたい。下流の白萩川は明るく開けてるのとは対照的。
アイゼンを付けスキーを担いで大窓を目指し登り出すが、落石は要注意。天候は晴れ間も広がり風も無い、剱の谷を登るには良い条件とも言えない。途中の二俣は左岸の斜面がボロボロで最悪。その内に予想通り落石が何発か来るが、バウンドしながら来るので進行方向の予測が付かない、速度も速いので逃げようも無い。韋駄天野郎が予想に反して横をすり抜けて行く。
核心部は抜けたようだがまだ油断は出来ない。ふと、カラカラと乾いた音が遠くに聞こえて右方向に目をやると、丁度対岸の小窓尾根の側壁上部から雪塊の崩落が始まっていた。大きな規模ではなかったが、その内に下部の脆い側壁を巻き込み規模は大きくなり次第に大規模な崩落となった。小窓尾根が崩れるような、動くような印象。崩れ、落ちていく大岩を見ていると、山が生きている様に感じる。凄まじい重力エネルギー。
ふと我に返ると、一時間前にあの谷を通過した事を思いだした。こっちも早く安全地帯に急がねば。まだ対岸では崩落の名残か落石の音が終わらない。その内に県警のヘリが谷沿いに爆音と共に頭の上を飛んでいくが、こっちはまだ危険地帯、気を利かせて早くよそに行ってくれよ。
その後は大窓から上手く弱点をついて雪渓に滑り込み、快適にクルージングして池ノ平へと周回する事ができました。小窓尾根の側壁崩落、これも剱の日常のひとコマだったのでしょうが、恐ろしくも感動的な剱岳の一面を見れた事に素直に感謝です。 |
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