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 2005年 タイトロープ
yamayama.s.


 過去の失敗を振り返り反省する事は必要ですね。時間の経過とともに薄れてゆく気憶を思い出し、今後の安全登山に活かしたいなと。少しばかり恥ずかしい気もしますが、登山を始めてから現在までの失敗談をジャンル別にまとめてみました。同じ過ちは繰り返したくは無いものです、自身も含めて今後の糧になればと思う次第であります。

◇山スキー編◇


雪崩れ!
 2000年の4月の事。白馬岳西面の谷を目指し、風雪の中を白馬乗鞍岳の大斜面を登行していた時、スキーで踏む雪の踏み応えの変化が気になっていた。最後の詰めの急登をジグ切りながらキックターンで方向変換した時、一息つきながらスキーで雪面を叩いてみた。異変は感じていたが、構わずに登りだしたとき、形容しがたい音とともに足元に亀裂が走った。

 スーッと静かに登行の姿勢のまま下流へと加速しながら流され始めた、倒されない無い様にと努めたが、すぐに板を下にして座る姿勢になってしまった。巻き込まれ無い様、板をどうにか処理しようとするが体も板も埋まりつつあり何もできない。山側の手で支えて体を起こしてるのが精一杯だ。

 傾斜が落ちてくると雪崩れの速度も落ちて流れも止まる。見渡すと一面のデブリの中に下半身が埋まった自分がいた。どれくらいの時間が掛かったかは定かでは無いが、さして苦労も無く板を外して雪面に立つ事ができた。装備と自分の体を点検すると、片方のストックを紛失していた、膝も少し捻ったのか痛みがある。

 ストックを探すが、埋まってしまった様だ。空身で登り返してみると破断面がクラウン状に切れていたのが確認できた、積雪は30a程で下の汚れた古い雪の層に積もった新雪が滑ったのだろう。ホワイトアウトの世界が走路の汚れた雪とデブリでそこだけリアルに見えるのが印象的だった。

 規模は40×100位だが、積雪がもう少し多かったら結果は悲惨なものだったかもしれません。ストック紛失と悪天で3日の計画を半日で終え下山しました。以降は板で踏んでの弱層判断と、天候の見極めの力が僅かにアップした様に感じます。 

雪崩れ!
 2005年の2月、磐梯山系の櫛ヶ峰での事。山スキーの記録には書いてますが、山頂付近はかなりの積雪で、沢筋の樹林の中、腰近くの重いラッセルに嫌な感じはあった。下降時も重くて深い雪に林の中を避け、期待の源頭部へと滑り込んでみた。この雪質では板の操作もままなら無い、一気に滑り落ちたいが立ち木にぶつかる危険もある、弱層は黄色信号的な雰囲気。

 電光形に横に逃げながら高度下げるが、雪崩れが来たときの逃げ道は漠然と考えてはいた。沢筋も明瞭になりノド状に狭くなってきた時、右ターンを始動しようとした時、例の忘れられない音と共に(悪魔の囁き)足元の雪面に亀裂が走った。目まいを感じつつ、スーッと下流に流されながら左岸のブッシュの中に迷わずに斜滑降で突っ込んだ。木の枝に掴まり安全を確認。

 積雪の割には今回も雪崩れの層が薄くてダメージは有りませんでした。傾斜は30度強で4×20程度の規模。現場の雰囲気としてはたまると小規模の雪崩を発生させていて、あまり大きい雪崩は無い地形と感じます。今回も心臓はバクバクで、正直この次はもう勘弁です。

滑落!
 大分前のことです、山スキーを始めたころか? 6月の山スキー日和の良き日、稜線から毛勝谷の滑降を目指し、30度強の斜面を軽い気分でスイスイと下り始めた。少し甘く見たか、気分も浮ついていたのだろう。滑り始めて間もなく、ジャンプターンの足がもつれて転倒。固目の雪質もありグングンと加速を開始。何とか体勢を整え板を下にして制動を試みたが、勢いに押されて1回転してしまい、引っくり返り頭を下にまた加速、少し膝を捻った様だ。

 ヤバイなと思い始めながら、平常心を心がけジタバタと再度体勢を立て直す。今度は少しずつスキーのエッジを利かせようと思ったが、今度も急制動がかかり飛ばされそう。断続する衝撃を何とかこらえ、膝に悪い捻りを感じながら必死に減速。ようやく停止して上を見たら100b以上は滑ったみたいだが、実感としては200b以上と言った所か。

それでもスケールのある谷なので、まだまだ滑りは楽しめたが、捻った膝の鈍い痛みが消えるまでは半年近くを要しました。また、急な斜面では今までコケた事が無かっただけに、シーズン最後に心理的なダメージ(凹)を残しました。以降は山スキーでは集中力を切らさず、安全第一を心がけています。

雪庇!
 山スキーを初めて間もない頃の4月。風雪の中、飯豊本山小屋を目指したが途中で切合小屋に逃げ込んだ。悪天に一日停滞して様子を見るが、回復の傾向は無し。朝遅くに下山を決め行動を開始。小屋を出て間もなく、視界不良で種蒔山からのルートが判らない。大雪で、ルートを外して沢に下ればば登り返しは不可能に思える。

 小一時間山頂付近を何度も探索、何とかルートを外さずに下り始める。三国岳近く、何となく雪庇の上にいる雰囲気がするが辺りは真っ白で? やけくそで前進したとたん身体が浮いた、スーッと落ちてザックを下にして止まった。10b近く落ちたか。雪が深くて何とも無かったが、這い上がるのが大変でした。

 これも経験で、今となれば笑えますが当時は必死でした。地蔵からの下りも深雪に板が走らず時間は遅れ、コントロールが大変で立ち木に膝を強打して一時は動けなくなったりと散々。暗くなる頃ようやく下山。

雪庇!
 山スキーだと良く隠れた亀裂を踏み抜き、脱出に苦労してルートを変更したりします。下から見上げると安定して見えるが、近づくと結構不安定だったりする時もあり、この時ばかりは神に祈りながら先を急ぎます。ポロポロと基部が崩れかけたりしてるし

 スキー場の外?なんかでドロップポイントを探っていると、稀に雪庇の崩落をおこす事が有ります。概念を掴んで行くので落ちても大事は無いですが、気持ちの良い物ではありません。

落とし穴!
 2001年の3月だっただろうか? 吾妻連峰の西大巓から馬場谷地へと下り、さらに傾斜の緩い沢筋を快適にクルージングしていた。スピードに乗ってくると形の良い小さ目のジャンプ台を発見、何気に軽く飛んで、着地点を見るとマンホールの様な暗い穴が口を開けていた。

 ホールインワン! 穴の土手(際)に身体がベタッと張り付いてからズリーッと落ちる。沢の暗い流れが視界に入る、板ははずれたが落としてなるものかと抱きかかえて確保。穴の途中の真ん中に細い木の枝が出ていて、そこに跨いで腰掛ける体勢で引っかかり着地成功。

 スットックの片方は落としてしまい流してしまった、回収は不能でしょう。体がすっぽりはいる穴の中で何とか木の枝に立ち込んでみるが、手がようやく縁にかかる位の深さ。取りあえず板二本を穴の外に放り投げ身軽になり脱出開始。ズリズリと滑る穴の中で効きの甘いバイルにスリングをセット、騙し騙し立ち込み、突っ張りながら何とか這い上がった。マジでヤベェ 

 ふと気が付くとメガネのレンズが割れていて使い物にはならなかったが、意外と股間のダメージは軽く、急所は外したみたい。さてと、シールを貼って戻りましょう。

凍傷!
 山スキーを始める前はスノーシューで雪山を歩いていて、たまにボード等を担いで滑ったりもしてました。雪山も初心者の頃、裏磐梯方面から中吾妻を経由して米沢市の峠駅に抜ける、2日+1日の予備日付きの日程で雪山歩きを計画した事があった。2月上旬

 強力な低気圧の接近で大雪警報が出ていた。ビバークした中吾妻までは晴れ間も見え、何となく行けるような気がしていた。中吾妻を通過すると風雪となり、ルーファイと深いラッセルに行程ははかどらない。順調ならその日の内に駅まで行けると踏んでいたが、明月荘まで行くのもぎりぎりの進行状況。東大巓への緩い登りもラッセルと猛吹雪に前進が辛い。部分的に胸をこす深さ。

 体力も限界となり、山頂を巻いて明月荘を目指した。コンパスを振れば辿りつけると頑なに思っていたが、真っ直ぐ歩く事は不可能な状況。それでも小屋を探し続ける内に日没となってしまっった。今から思うと考えられない行動だが、当時は状況判断ができなかったのです。凍える手で地図を出そうとしたら風に飛ばされてしまった、コピーをケチったので、この山域の予備は無い。致命的

 足元も確認できない状況で雪面を均し、灌木の影にテントを張る。何とかもぐり込んだが風に叩かれテントごと飛ばせれてしまいそうだ。ケツの下を風が吹き抜けて行く感覚。テントの中では着の身着のままでシェラフに入るのがやっとで、雪水も作る事はできない。一晩中風に叩かれたが。アライ製のテントはタフで持ちこたえてくれた、感謝。

 天気予報は午後から回復と言ってるが、この場所に留まるつもりは無い。相変わらずの強烈な風雪模様、温度計は昨夜から23度付近を指している。準備万端整えて外に飛び出し、必死でテントをザックに突っ込み撤収完了。上手くいった。しかし、厚い手袋をしてスノーシューの装着は困難。バンドを締めるのにほんの一時素手になった。すぐに手の感覚が消えたが、とにかく寒いので北を目指し、コンパス片手に歩き出した。視界はゼロ。

 ツアーコースと思われる沢筋に入ると風も弱まるが、今度は腰上のラッセルに悩む。手の感覚が無いので手袋を取ってみると、全ての指がカチカチに凍っていた。白くなって血の気は無く、頬に手を当てると冷たい、氷だ。凍ったバナナみたい。脇に挟んだりしてみるが解凍の気配は無し、小便をかけるのは効果的だが続かない。ラッセルしているうち体温も上がり溶ける事にして歩き出すが、夜遅く自宅に戻るまで冷たいままだった。

 地図無しで沢を下り、迷走しながら下山した件は長くなるのでまた次回にでも。自宅で風呂に入ると猛烈な痛みが走った。その後は指が真っ黒になり、表面が石の様に固くなった。病院で皮を切り落としたら指先がスッキリした感覚。その後も完全な回復は無理で、指先の感覚は完全には回復していない。血行が悪いのか冷えには弱くなり、冬は手袋をしていても時々指先が白くなる事が有るが、これも軽度の凍傷でしょう。

 良く見ると足の指先も白くなっていた、これはプラブーツがきつかったせいも有る。風雪の中のビバークの日、平地はこの冬一番の寒さだったそうです。

予感?
 東大巓で凍傷を負った山行の件ですが、一日目に中吾妻で幕営した夜の事です。天候は下り坂で、できるだけ前進したい気持ちもあり日没近くまで行動してからテントを張った。しんしんと降る雪、オオシラビソの樹林の中では風も無く快適な幕営適地に思えた。

 酒を飲み、食事を済ませてシェラフに潜り込み、明日の天気を携帯とラジオで確認。判断に迷いながらも、取りあえず明日は中吾妻の山頂まで行ってから判断する事にして灯りを消した。降る雪がサラサラとテントにあたり風が微かに揺らす、中吾妻の夜。

 眠気に目を閉じる。ふと、外に何者かの気配を感じる。音は無く、動物では無い様だが。意識を集中してみると、背中に頭に、強烈なな悪寒が体中に走った。脳裏には姿が浮ぶ、黒マントに黒い帽子で立っている男、こちらを見る横顔は青白く表情は判然としないが、薄笑いを浮かべている。テントを出て確認する度胸はない、恐いと思った。とにかく、闇の中でその事は絶対意識しないようにするのが精一杯。どれ位の時間が経ったか、暫らくすると夕立の後のように意識の中から、あの青白い顔の男は薄らいで行った。

 死んだ親父の事などを思い出していると、何時の間にか眠りについていた。その翌日の事は上に続いてます。もう何年も前の夜の事でもいまだに鮮明に覚えていますし、あの濡れた様な青白い顔を思い出すと今でも寒気がします。山行前、ふとそんな事を思い出すときは不思議とアクシデントに出合いますが、最近その感じが無くなってるのが少し気にもなっているこの頃です。恐怖の大王、スナフキン

落石!
 2002年の5月、剱岳北方の池ノ平をベースにして、小窓から西仙人谷を下り、大窓を経由してベースに戻る池平山周回を計画した時の事。

 朝早く、軽装でベースを出て小窓を目指した。小窓に着き、西仙人谷を覗くと雪渓はかなり後退していて雪面も荒れている。滑りを楽しめる雰囲気では無く躊躇するが、強風に後押しされるように草付きを下り、雪渓に立ち滑降準備。雪渓いっぱいに広がる転石を避けながら慎重に滑り下る、板はガリガリと嫌な音を立てるが石を噛んでるのか固い氷の音か判断はつかない。

 時間をかけて下り、谷が大きく屈曲すると、デブリと落石で荒れた西仙人谷も終わりかと一安心、と思ったのも一時で、出合いから上流の大窓谷を見上げると、転石と大きな岩が雪渓上に転がっていてかなり荒れた雰囲気。ルートを間違えたかと何度も地図を確認してみるが、間違いはないみたい。下流の白萩川は明るく開けてるのとは対照的。

 アイゼンを付けスキーを担いで大窓を目指し登り出すが、落石は要注意。天候は晴れ間も広がり風も無い、剱の谷を登るには良い条件とも言えない。途中の二俣は左岸の斜面がボロボロで最悪。その内に予想通り落石が何発か来るが、バウンドしながら来るので進行方向の予測が付かない、速度も速いので逃げようも無い。韋駄天野郎が予想に反して横をすり抜けて行く。

 核心部は抜けたようだがまだ油断は出来ない。ふと、カラカラと乾いた音が遠くに聞こえて右方向に目をやると、丁度対岸の小窓尾根の側壁上部から雪塊の崩落が始まっていた。大きな規模ではなかったが、その内に下部の脆い側壁を巻き込み規模は大きくなり次第に大規模な崩落となった。小窓尾根が崩れるような、動くような印象。崩れ、落ちていく大岩を見ていると、山が生きている様に感じる。凄まじい重力エネルギー。

 ふと我に返ると、一時間前にあの谷を通過した事を思いだした。こっちも早く安全地帯に急がねば。まだ対岸では崩落の名残か落石の音が終わらない。その内に県警のヘリが谷沿いに爆音と共に頭の上を飛んでいくが、こっちはまだ危険地帯、気を利かせて早くよそに行ってくれよ。

 その後は大窓から上手く弱点をついて雪渓に滑り込み、快適にクルージングして池ノ平へと周回する事ができました。小窓尾根の側壁崩落、これも剱の日常のひとコマだったのでしょうが、恐ろしくも感動的な剱岳の一面を見れた事に素直に感謝です。

◇沢歩き編◇


草付き!
 2004年7月の吾妻大滝沢。何度も訪れている沢筋を快適に歩き、大滝に出合い高巻を開始。滝から少し戻り右岸のスラブ状を登り始めた。何時もこの辺から巻いてるし、少し微妙な部分もあるがロープは必要無いレベル。良く観察しないで取り付いたせいか、少し登ると(15b)逆層で傾斜もきつくなり、もう一手が出ない。懸垂の予定は無く、ザックの中のロープも出すのが大変。ビレーを取るにもハーケンは利かない。

 上がるしか手は無い。慎重に抜けると傾斜が少し緩くなりそのままゆっくり高度を稼ぐ。ここまでくると下降するにしてもロープが(30b)完全に足りない。直上して状態の悪そうな草付き帯に突っ込む事に。逃げ道は無し。傾斜のある泥壁にはお腹がつく程。岩の上に薄い泥がかろうじて乗っていて、腰のバイルを抜くが効きは甘くあてには出来ない。

 つま先を蹴り込み泥を掘り出し探りながら慎重に行く。手がかり足がかりに乏しく嫌らしい。頼り無い細い木の枝に体重を掛けないように掴まり、ラインを探していたら泥の足場が崩れ片手に体重が集中。たまらずズリーッと、手元が滑るが先端で何とか停まった。足がブラブラしている。頼りない足場を確保して枝にプルージックをかけ体を上げ、苦しい体勢でスリングに立ち込む。手を伸ばし次の細いブッシュに掴まると悪場は終わり。年によってもルートの状態は変わるので、その辺はもう少しルートを見極めて取り付きたい所でした。

 後で思うと、不思議だなあと。片手で掴まった細長い木の枝は太さが小指程も無く、体重が集中した時には絶対折れるか抜ける感触だったのが、予想外にしっかりしていた事。堕ちる不思議と堕ちない不思議。でもいつかはやっぱり...

 
ヌカカ!
 沢登を始めた頃。吾妻連峰の中津川へと一泊の予定で出かけた時の事。夕方近く、朱滝の高巻にかかるが、途中で、左の岩場を利用すると近道に思えた。草付きの踏み跡から離れての快適な登りも長くは続かない、急な岩場でで完全に行き詰まってしまった。少し懸垂で下ろうとしてると次第にヌカカが集まり出した。両手が塞がっているので、もう、喰われ放題でヘルメットの中にも入ってくる。額をぬぐうと無数の潰れたヌカカがべったりとくっ付いてきた。

 奴らに囲まれてあせる中を慎重に降り、隣の草付き斜面から藪に出て滝を巻き、滝上で幕営。顔面と腕がかなりやられたのでクリームを塗ったが、効果は薄いみたい。翌々日、腫れあがり、すっかり人相の変わった顔で医者に行くと、薬の効果は偉大で意外と早く完治したのでした。夕刻はアブやヌカカに要注意

靴!
 9月になり水温も低くなるだろうと、靴下を厚めの物にして3日の予定で入渓した。滝が少なく歩きが多い沢、靴下の厚みのせいか親指の痛みが次第に強くなってきていた。泊り場で靴を脱いで確認すると、親指の爪が白くなり浮き気味で押すと水が滲み出てくる。

 不安を抱えながら翌日、翌々日と痛みを我慢して下山。自宅で点検すると完全に爪半分が浮いていて剥離していた・・・その後も沢歩きをしたこともあり、爪が元通りになるまで一年近くかかりました。


 沢靴の底が大分すり減っていたがシーズンも終盤の秋。今回限りの使用予定で、泊りで御神楽沢へと出かけた時の事。本流の河原を歩くと足元がツルツルと良く滑り、何度も転倒。丸石に乗った瞬間に滑って腰を強打、痛みで暫らく動けない。骨が折れたかと思ったが何とか歩けたが、、、い痛い。もったいないと装備をケチって痛くて恐い思いをしてしまった。

鉢合せ!
 大分前の夏の事です。安達太良の石筵川に入渓して順調に遡行していた時。既に沢は源流部の渓相となり、笹原の先には稜線の一部が望める。沢は滝も無く穏やかだが、屈曲していて見通しは良くない。冷たい水流が勢い良く足元を流れ、水流が消える前に良い所で休もうか、等とと考えていた。

 沢は右に曲がり、また左に曲がる。すると突然、目の前には大きな熊が立っていた。手を伸ばせば握手ができる近距離で目と目が合う。一瞬、互いにビックリしていたが、先に動いたの熊の方だった。右手の急な笹藪の中へと飛び込み姿が消えた。「フッ、フッ」と息遣いに凄みがある。身長はほぼ同じくらいだったが体がデカイ、左フックが頭に決まればオダブツ。

 安心するのはまだ早かった。登って行ったはずの熊がすぐに戻ってきた。フリーズしてる私を横目で見ながら横をすり抜け下流へと走り去った、一瞬の出来事。獣の臭いが鼻に突く。熊が消えてから腰のバイルをに手をやったが、それどころでは無い、急いで反対方向の上流へと早足でこちらも逃足。

 間近で目が合ったのが良かったのか、限り無く人間の目と近かった様に感じる。驚きと、チョッピリ恐怖の念があった感じもするが、凶暴なヤツで無くてなによりでした。安達太良に熊が居るという認識がまったくなかったのも問題、時々ニュースで熊出没の話は聞いてたのに。天然

 翌年も安達太良の別の沢で、今度は少し小振りのを目撃。50b位離れていたので余裕はありましたが、今回も山頂近くでのこと。それ程慌てた様子も無く(お互い)、大きなお尻をリズミカルに揺らしながらブッシュの中に消えて行きました。


◇山歩き編◇

転倒!
 会津の明神ガ岳。ごくありふれた会津若松のの里山へと海外登山の足慣らしも兼ね、ハイキング気分で出かけたのでした。時間も余裕で順調にに下り出して小沢の源流付近。右手は草が枯れた急な片斜面の道、危険な場所では無い。何気なく歩いていたら足元の草が絡み、斜め前方へと飛び込むように倒れかけた。通常ならもう片足でリカバリーしたり、ブッシュに掴まったりするところだが、もろに草付きの斜面を前転するように転がった。

 頭が下になった時、石に頭が激突して止まった。衝撃の感じで、ただでは済まないなと感じる。頭に手をやると血が付いて、間もなく血が筋になって顔から滴り落ち始めた。バンダナを強く当てて止血を試みるが、バンダナも血を吸ってゴワゴワ。体にはかすり傷一つ無いようだし頭の骨もへこんでない。落ちた流水溝で暫らくじっとしてると登山者が登ってくる気配がした。

 血だらけの頭を見られて大丈夫と言っても説得力は無いようい思い、急いで登山道に上がり見えない様に背中を向けたが、これで良いのか、なあ。まあ、元気なうちに下山しようと頭を押さえながら間もなく下山。病院へと向かった。傷口を5針程縫い回復は早かったが、3日後に出発予定だった南米登山は中止でがっかり。これが本当に痛い

 天候も今ひとつで、出かける時から財布を忘れたり燃料が僅かだったりと、気分ののりも悪く、いつもの調子とは違う感じはしてたが、後から考えても仕方ない。

転倒U!
 06年の9月、蔵王連峰の水引入道へと出かけた時の事です。白石スキー場から林道を進み、登山口に車を停めて歩き出した。天候は雨模様で登山日和とは言えないが、状況を見ながら稜線か水引平付近で折り返す予定で、半分は紅葉見物と決めてのお気楽な登山。道は滑り易いので、足元に注意しながら出発進行。

 藪気味な道かと思っていたら、期待に反して普通な感じの登山道でした。全体的に水はけが悪い道なので下山時には注意したい。樹林帯の緩い登り、次第に傾斜が出てくると登山者が下ってきた。挨拶をして何気なく顔を見る、無表情で顔色が悪いのが印象に残った。三人の登山者は足元に注意しながら下って行った。白石スキー場からの周回コースだろうか。

 それにしても顔色が悪かった事が気になる。どうも気になる。雨のせいか下っていった登山者の足跡もさだかでは無く、先刻、本当にすれ違ったかどうかも怪しい雰囲気となってきた。以前に見た、世にも奇妙な物語のワンシーンが重なるし、どうも悪い物を見てしまったようだが、問題は心の持ちようだと考える。しかし、ドラマのあり得ないストーリーと、すれ違った登山者の表情に脳内の思考は停止状態です。

 こうなりゃ仕方ねえ、ドラマのストーリーを良っくと思い出しながら重い気分で登り続ける、しかないか。霧の中から鮮やかな紅葉が現れ始めると周囲の雰囲気も華やいで来る。観賞し、写真を撮ったりしながら歩く内に気分も軽くなり、雨の中の紅葉見物も風情があるな、てな感じで。蔵王の紅葉も中々ですよ。

 登るにつれて雨は強くなる。時間に余裕はあるが、草紅葉が見頃の水引平で往路を戻る事にした。今回も靴底がすり減った登山靴なので下りは慎重にスピードを殺してと思っていたやさきの事。靴がグリップを失い大きくスリップ、もつれる足ではリカバリーは難しい。右手に笹に隠れた流水溝があり、そこへ目がけて頭から突っ込む体制で倒れた。あちゃー。

 腕を土手に当てて体を変え、足を下にして溝の底へ着地成功。流水溝は見た目よりも深く広く、断面は蛸壺状になっていた。深い事が幸いして足から着地できたのだろう。もしも、背中や頭から着地したら・・・もしもは無し。手がようやく土手の際にかかる深さで、短い笹を手がかりに這い上がる、おりゃ。足の打撲と擦り傷が少し。流水溝の中でのびてしまったら、誰も気が付かないかもしれません。

 後は慎重にと思っても、次第に早足になってしまう体。付ける薬は無い物か。それにしても、あの登山者の無表情な顔が頭の中でリフレインして気分は↓。でも、このような嫌な(恐い)イメージを映像で感じる時は必ずと言っていいほどにケガや危険な目に合います。一種の自己防衛本能のような物なのでしょうか。はてさて

北鎌!
 以前は軽量化等をあまり考えてはいなかった、時もあった。泊りの時は皮製の重登山靴にテント泊がいつもの行動パターンだが、装備もそんなに選べるほどは無かったのです。そんな何時ものスタイルで、何となく無く北鎌に行こうかと出かけたのは梅雨も終盤の頃。

 山渓にオマケで付いていた簡単な概念図が頼り。天候が悪い中、貧乏沢を下る時点ですでに不安が一杯。時間も遅くなり、増水した天上沢出合いで幕。翌日は曇りで天候はそう悪くはない。独標まではマズマズのペースだった、解説には槍平まではしつこくトラバースせよとある。

 次第に効率の悪くなるルートに疲労感もある、微かな踏み跡らしきものもあるが、勘違いの時もある。くねくねと伸びるバンドがルートと思い忠実にトレース、その内に傾斜が立ってきて完全に行き詰ると岩はボロボロで、足場が崩れ落下。3b程落ちてガラガラの急斜面に上手く着地が決まった。

 立ち込んだ姿勢のままでザザーッと滑り停止したが、落ちた体勢が良かったのだろう、精神的なダメージ意外は怪我も無かった。バランスを崩していたら、深い谷底で岩雪崩れに埋まった・・・かも。その後は尾根にルートを求めたが、槍平からは一気に疲れが出て重い足取り。ガスの中、最後の槍の急登は少しかぶり気味。左に寄りすぎたのか?

 体も頭も限界で、他にルートを探す気にもなれない。自分のレベルでは一見して登れない。どうする、時間だけが流れる。あとから荷揚げも難しそうだし、空身でやれるか。体も冷えてきて、放心したように見上げていたら体が勝手に動き出し登りだした。俺は何をしてるんだ、シビリアンコントロールをせねば。本能のままにジタバタとやって直下までくると、余裕で山頂へと到着。

 山頂に着くと数名の登山者がいたが、誰も気が付いて無い。前日の小屋泊まりの後続グループは追いついてこないが、どうしたのだろう。予定よりかなり遅いペースなので追い越されると思っていたのに。

 疲れもあり殺生ヒュッテで幕にしたが、財布を車の中に忘れたので小銭分の1gしか水を買えずに大いに凹む。担ぎ上げた残り一本の缶ビールの上手い事。北鎌の余韻は味わえなかった殺生の夜。早く寝るベ。

 早く下山するべく暗い内に歩いていたら道の真ん中にペットボトルの落し物、水は満タン近い。鼻歌が出る。水筒の最後の水を飲み干してから、加熱して飲んだ。天の恵みだ、嬉ひいィ。ぞう

滑落!
 ある名山での想定外の残雪に嫌気がさし、予定を変更して180度転進。翌日は百名山で有名な雨飾山へと向かった。登山道から気楽に山頂を往復の予定だったので、軽装でゆっくりと遅い時間に出発。天気はサイコーだが、気楽な登山道歩きは少し面白みには欠ける。ノダ

 荒菅沢の横断では、豊富な雪渓と岩肌を魅せる谷筋が印象的。稜線に出て笹平を通過すると、荒菅沢の源流部と思われる雪渓へと草付きの中に踏み跡が下っているのを確認。傾斜は手頃で、下りは雪渓をルートにしてみようと瞬間にひらめいてしまった。

 山頂では時間もあるので、ゆっくりのんびりする事に。単独行の妙齢の女性が下山していくと自分だけの山頂。お、富士山も見える。鳥海は?などと、一人だけの大展望を満喫。ボチボチ戻る事にしましょうか。山頂から少し下り、雪渓へと降りる踏み跡の前で少し迷うがすぐに下降を開始。がらがらで歩き難い。

 踏み跡から雪渓に上がる。スプーンカットの雪は固く、重登山靴の踵キックが思うように決まらない。車の中に置いてきたピッケルとアイゼンが悔やまれるが、まさか使う様になるとは想定外の事。薄いシュルントを利用してみるが、横に移動すると効率が悪すぎる。枯れ木を拾いステップを刻みながら、まっすぐ慎重に下る。

 予定通りに間もなくスリップして転倒、勢い良く滑り出す。凄いスピードだなと思っていたら、突然にドンと衝撃がきて止まった。深さが2bほどの亀裂の中に落ちていた。20b程滑ったか、上手く落ちたのだろう体にダメージは無し。簡単に出れたが、この先の下降が問題。シーズン中はいつもスキーで下るので、歩いて下る時との感覚的なギャップがある、急斜面には見え無いが現実には丸腰状態。板ではなくて靴で滑れば致命的。

 その後はいっそう慎重になり、シュルントを利用したり、フリクションの効くスラブを利用したりして安全圏へと下った。山頂はすでに見えないが、布団菱と雪渓の眺めは一級品。傾斜の落ちた谷筋を何度も振り返りながら歩き下ると、問題も無く往路の登山道に出合う事ができた。登山道に上がり、ケツの汚れを見ていたら先に下った女性が対岸の登山道を下ってきた。

 いろいろ聞かれるのもウザイので、先に下って一休みしていたら例の妙齢の方が追いついてきた。女性にしては猛スピードだなと思ったら、温泉まで乗せていってくれと頼まれてしまった。な〜るほどね、早いはずだ。その後は一緒に風呂に入り、先に上がって自宅までノンストップ。女性に頼まれるとイヤとは言えないわたくし、でも関東経由では戻りたくは無いのココロ。

 
三ノ窓!  
 源次郎尾根を目指し、なぜか馬場島からアプローチ。アルペンルートと所要時間は大差が無い様に思えたし、何よりコストがかからないのが良い。剣沢小屋で泊りの予定だったが、疲れと睡眠不足もあり、気が付くと剣山荘の風呂に入りくつろぐ自分がいた。

 明るくなると同時に行動を開始。いつもの情報不足か取り付きで少し迷う。沢筋はクラシカルな重登山靴では厳しく尾根にルートを取るが、こちらも渋い。後は快適な岩尾根を歩き、問題のニ峰の下り。タイミング良く下降点で単独の先行者に追いつき、互いのロープ二本を合わせて快適に下降。順調

 先に着いて、剣の山頂で握手をすると二人だけの山頂に、ジンとくる。相方の記念撮影、何やら大きめの写真を取り出した。亡くなった娘さんの遺影だった。またまたジンとくる、晴天の山頂。良い日だ。早い時間なので北に向かい、三ノ窓を下って真砂沢あたりで泊まろうと、プランを変更。そうとなれば急がねば。

 トイレの臭いのする三ノ窓でワンタッチのアルミアイゼンを装着し、ピッケルを片手に下り出す。不安のあったアイゼンと靴のマッチングが悪く、直ぐに外れてしまい使い物にならない。もうすぐ小屋も締まる秋、スプーンカット状の固い雪に手間取りながら下降。尾根を越えて小窓側に下るか尾根上を下るか進路に迷うが、三ノ窓の雪渓を下る事にする。

 滝が出ていたので懸垂してシュルントの中に降り、ガラガラの斜面をきわどくトラバース。再度シュルントに降りるときにピッケルを落としてしまった。勢い良く跳ね、暗いシュルントの奥へと消えて行った。痛いミス。やっと雪渓に上がり、今度はミニバイルを片手に下る。汚れた固い雪にキックを蹴り込むが、効果の無い儀式にすぎない。滑落の不安。

 腰も膝も痛くなり、バイルを交互に持ち替える両手の皮はむけて血が滲む。一歩一歩慎重に降り続けるが進行は極めて遅い。ここは集中力を切らさずにガマン。ようやく北股に出合う頃には日没で周囲は暗くなり始めていた。急いで幕営適地を探し、ロープでツェルトを張る。近くの小滝から水を得て中に潜りこむ。行動食を喰いワインを飲むと眠気にまどろむが、雪渓付近の気温は低く0度位だったろうか。熟睡できずに寒い夜を過す。

 暗い内に行動を開始するが体調は良くない。朝早い時間にすれ違う登山者は、どこから来たのだろうと独り言を言う人、不思議そうな顔(遭難者か?)をする人等、反応はそれぞれで何時もの事。アイゼンが使えないので、遠回りして剣山荘から剣山頂に立ったのは今回で三度目。もう、呼吸をするのも辛くて腹筋は崩壊寸前。三ノ窓は余計でした。その後間もなく別のアイゼンをもう一組と、ピッケルを再購入しました。


◇自転車編(昔話)

24時間!
 高校生の頃(かなり古い話)、ふらりと自転車でツーリングに出るのが楽しみだった。夏休みに思いつきで出かけた能登半島、帰路は白根山から鬼押し出しへの山越え全5日間の行程は懐かしい思い出。後半では財布も軽くなり、食堂では生卵とご飯大盛りが何時ものパターン。カラカラに干上がり、やっと見つけた道端の水道を借りて飲む生温い水は天下一の美味さだった。

 ある日本屋で立ち読みしていたら、自転車でのノンストップランの記事に目が止まった。食事と小用で止まる意外は走り続けのが基本。面白そうだなと思い、早速簡単にノンストップランの計画を練ってみた。4号線を半日程北上して折り返し、証拠として駅に寄ってスタンプを押して返るのがお約束。

 取りあえず学校は風邪で休む事にして、月明かりが眩しい午前0時、弁当箱にタップリ飯を詰め込んで颯爽と出発。すぐ横を追い抜いてゆく大型トラックの風とラッパに煽られながらマイペースで北上。11月の朝方の冷え込みは厳しく体温も上がらない、朝飯にと開いた弁当箱のご飯はギンギンに冷えていたのでした。つ、冷たいッス

 最低目標の一関で戻ろうかと一時考えたが、欲を出して水沢まで足を伸ばして手帳に駅のスタンプを押した。かなりペースが落ちはている、少し余裕を見てるので24時間以内には戻れると考えてはいたが、次第にペースは落ちるばかりで、その内に元気なママチャリおばさんに抜かれて愕然。なんてことだ、限界の二文字が脳裏をよぎる

 仙台の手前ですっかり暗くなり、暗い夜道を我家を目指しペダリング。あと何時間かかるのだろうかと思うほどに焦りが出てくる・・・精神的にも落ち込んできている。山頂が見えるのに、歩いても歩いても次第に遠ざかる様な感覚に似ていて、思考力はゼロ点。白石を過ぎると県境までは最後の登りだが、猛烈に眠くなってきた。休まないのが約束、ここで休憩しては積み木が崩れる、やって来た事の意味が無いと頭の中でリフレイン。

 朦朧としながら県境を越すと後は下り、しかし眠い眠い眠い。居眠り運転で蛇行しながら下っていたらガードレールに激突、一回転して田んぼに落下。遅れて頭の上から自転車が落ちてきて、散々。ホークとフレームが歪んでしまい真っ直ぐ走らないが、取りあえず走行には支障は無し。再度走り出しましたが、その後の気憶は自宅に戻るまで途切れ途切れで思い出せません。

 覚えているのは、どこぞでお会いしたような人が自分の名前を呼び、おいでおいでと手招きをしていた、吸い寄せられるように自転車のペダルを漕ぎ続け、魔法が解ける様に、ふと、我に帰ると見慣れた隣町の路上でした。自宅までは5分程の距離。その後は眠気も消えて自宅にゴール。時間は午後の12時ジャスト、24時間のロングツーリングの終了。走行距離は450`前後だったような・・・その後のランが600`だったような(曖昧)。

 自宅まで誘導して貰った件は雲を掴むようで、あまり話した事は有りませんでしたが、変な話ばかりのこのコーナーならマア良いかなと。それにしても手招きしてたのは誰でしょう?